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近所の八幡神社も、さくらが満開! |
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近所の桜新町公民館も、さくらが満開!
そして、川中島の古戦場も、さくらが満開! |
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「三太刀七太刀の跡」 |
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武田信玄めがけて上杉謙信は只一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に「三太刀七太刀の跡」という。 |
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「逆槐(さかさえんじゅ)」 |
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武田信玄は、永禄四年(1561)九月九日夜、ここ八幡原に上杉軍挟撃の陣地を構えた際、この場所に土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をめぐらして本陣をおいた。このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、その後約四百年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる。 |
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「執念の石」 |
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武田信武田軍の中間頭原大隅が、傍らにあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突き出した。(中略)謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれる。 |
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